三月三十一日、ライフワークとして民俗学を研究されていた江口司さんが亡くなられた。三角の海で釣りをしていた時の事故だった。
 江口さんとは釣りを通じて知り合い、つい先日、今度は民俗学の分野で力を貸していただこうと、仕事上の打ち合わせを重ねていたところだった。
 海の、渓流の、山の、そしてアウトドアのベテランだった。その江口さんがなぜ…。彼を知るすべての人が思いを同じくしたに違いない。
 一九九七年四月、南波誠さんがヨットレース中に落水。そのまま消息を絶った。南波さんは、ヨットレースのF1ともいわれる「アメリカズ・カップ」に2度挑戦。一九九五年には日本チームのスキッパー(艇長)として指揮をとった人物だ。まさに、海のエキスパートだったが、日本の南海上、時化た黒潮の海で帰らぬ人となった。当時、私が所属していた海洋雑誌の編集部にも衝撃が走った。「なぜ、あの南波さんが…」。
 「太平洋ひとりぼっち」で知られる海洋冒険家・堀江謙一さんに、以前、インタビューをしていた時のこと。意外な言葉が返ってきた。
「航海に出たとたん、後悔するんだよね(笑)。止めときゃよかったかなってね。そりゃ、怖いし、不安もある。でも、だからこそ、何年もかけて入念な準備をするんだ。無謀な挑戦は冒険とは言わない」。たった一人でヨットに乗り込み、地球を何周もしている堀江さんの言葉は重かった。
 海に限らず山や川を含め、自然を知る人ほどその前で謙虚になる。楽しく遊ばせてもらうための準備と情報収集、経験の積み重ねに重きを置く。それでも時として、自然は人の命を奪う。ベテランのアウトドアマンも、自然の力の前では、まったくの無力だ。日常生活の中で、そのことをつい忘れがちだが、敬愛する彼らの事故の前に、あらためてそのことを思い知らされる。
 でも、だからといって「海や山は危ないから、出かけるのをやめなさい」ということにはならない。江口さんも南波さんも、自然の怖さと同時にすばらしさも知り尽くしていた。だからこそ、生涯を通じて自然とつきあい、共感してきたはずだ。脅威と感動は表裏一体である。人間には遠く及ばない力を持っているからこそ、恐れを感じ、心が震える。そのことを理解した上で、謙虚に自然と向き合い、つきあうことが大切なのだ。そこに真の感動が生まれる。その上での事故は、もはや運命としかいいようがない。
 そして、自然と接することにおいては、すべてが自己責任であることも、もう一度認識しておきたい。日本では、レジャーボートなどが海難事故を起こすと、出港させたマリーナの責任がどうだ、行政の制度がどうだ、船を製造したメーカーがどうだというような話になるが、まったくくだらない話である。すべては船長の責任なのだ。天候を見極め、自分が乗る船の性能を理解し、その上で出港するかどうかの判断を自らの責任において下すのが船長の務めなのである。登山も同じだろう。自分の力量と山のレベル、そして天候の変化とを考え合わせて進むか、留まるか、引き返すかを判断する。それはすべて自己責任において行うべきものだ。ほかの誰にも責任を転嫁すべきものではない。だからこそ、まずは己の力量を知り、それに合わせた遊び方、フィールドを選ぶことが大切になるのだ。
 ゴールデンウィークが近づいている。自然の中で遊ぶには一番気持ちのいい季節だ。海や山に出かけられる方も多いだろう。ただし、自然は美しく、癒しを与えてくれるだけのものではないことを、プランを立てる前にもう一度意識し直していただきたい。その上で、自分に合った楽しみ方をチョイスしてもらいたいのだ。
 私も連休中は、江口さんの逝った天草の海で遊ばせていただこうと思っている。ご冥福をお祈りしながら、謙虚な身持ちで。



アウト道(25)

敬愛するアウトドアマンの死

連休を前に思うこと

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