この連載の第2回目に、家庭菜園の話をしたことがある。自宅の隅を耕し、畝(うね)を立て、季節の野菜を育てるささやかな楽しみに関する話だ。一見、アウトドアとは関係がないように見える野菜づくりも、今回のテーマとなるDIY、つまり日曜大工も、私の中ではちゃんとシンクロし、同じ種類の面白みでくくられている。おそらく、アウトドアが好きな人の8割くらいは家庭菜園に興味があり、6割くらいは建築中の家の前を通りかかると、しばし足を止めて大工さんの技にため息をついているのではないかと思う。
 以前、この3つの楽しみを一度に味わおうと試みたことがある。鹿北の山林地を借り、山小屋を建て、畑を開墾しようというプランだ。実際に借地契約を交わし、背丈以上にのびた草を刈りまくり、畑らしきものまでは作った。近くを流れる清流から水を引くことにも成功したが、友人の建築士に小屋の設計図を作ってもらったところで夢は挫折した。
 鹿北は遠かった。ドアトゥドア(向こうにドアはないが)で2時間弱。毎週末通い続けるには、ちと遠かった。そのうち、仕事もバタバタし始め、せっかく刈った草が親の敵のようにものすごい勢いで伸びていく様を目の当たりにした時、完全に戦意喪失してしまった。たくさんある思い出したくない失敗の中でも、ベスト3に入るエピソードだ。
 その後、中途半端な形で夢が実現した。それまでのマンション暮らしを止め、古い平屋の庭付き借家を借り、畑を作り、ウッドデッキを拡張し続け、6畳ほどの大きさの物置小屋を造った。現在は、ガレージ造りに取り組んでいる。
 DIYへの入り口は、ご多分に漏れずウッドデッキからだったが、これは丸ノコとインパクトドライバーの洗礼を受けたことに端を発する。ギョイ〜ン、ギョイ〜ンと2×4材をぶつ切りにし、ダダダダダと9センチもある長いコースレッド(木ねじ)で固定していく、合理的で簡単なアメリカナイズされたその木工は衝撃的だった。あっという間に、デッキが、小屋ができていくのである。
 しかし、そのうちに日本には継手と仕口という、釘を使わずに木と木とをつなぐ世界に誇るべき技術があることを知ることになり、ダダダダダに感動していた自分を深く恥じ入った。とはいっても、繊細な木工技術が身に付いているわけでもなく、アメリカのダダダと日本の伝統技術の狭間で、自己流のDIYを楽しんでいるのが現状だ。
 さて、これらの楽しみに共通するのは何かという話である。それは家を造ることと、飯を食うことに行き着く。以前にも書いたが、私はキャンプではテントを張る行為が好きだし、その楽しみはサイトを決めるために場所探しをするところから始まっている。DIYの究極の目標も、家を造ることにある。その疑似体験としての小屋やデッキ、ガレージ造りなのである。
 一方、野外料理が好きなのも、どうやら作る行程に喜びを強く感じているようだ。工夫し、振る舞い、ほめられ、満足する。できれば、その材料も自分で作りたい。自然な流れの感情である。
 自分の落ち着ける場所を探し、住処を作り、旨いものを料理して食べる。極めて原始的かつ潜在的な欲求に、最後はたどり着くのだ。キャンプも、DIYも、人生も。



アウト道(23)

ダダダのDIYとアウトドア

たどり着くのは原始的欲求

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