キャンプに夢中になったのは小学4年生の時だったが、アウトドアの原体験は小学校低学年の頃から父親に連れていかれていた釣りになるのだと思う。それは決して楽しい思い出ではなく、冬の寒い堤防で凍えた手を擦り合わせて半ベソをかいていた悲惨な記憶だ。おまけに当時の父親はとても恐ろしく、まともに口をきける関係ではなかったので、それは苦痛の時間でしかなかった。
当時、極寒の中、なぜ釣りに出掛けるのか理解ができなかった。家のこたつに入っていれば、手がかじかむことも、鼻水がたれることも、あかぎれで頬から血が出ることもないのだ。しかも、楽しい会話もなく、無言で、修行僧のようにただひたすら耐え続けるのである。父親は釣った魚を食べる楽しみもあったようだが、当時の私は魚料理が嫌いだった。
しかし、抵抗しても無駄なことを知ると、私は快適な環境を探してもがき始めた。風が当たらない堤防の陰を探し、そこに座り込んで膝を抱えた。この時、風向きというものを初めて意識したし、それがしょっちゅう変わることも知った。それでも我慢できなくなると、板きれやトタンの切れ端を拾ってきて囲いを作った。わずかな隙間に体を滑り込ませると、そこには思ってもいなかった暖かさとワクワクする空間が広がっていた。男の子なら誰もが胸をときめかす、秘密基地をそこに発見したのだと思う。
次に目覚めたのは、焚き火だった。暖をとるために、灯油缶と枯れ木とを拾ってきて、父にマッチを借りた。最初は小言を言っていた父も、私が次第に火を扱えるようになるとその大役を任せてくれるようになった。
さらに、家では庭でのゴミ燃やしと石炭風呂の焚き付けが私の仕事になった。薪を割り、石炭を焼べてお湯を沸かす毎日の作業はとても楽しかった。このあたりが、「趣味はテント泊と焚き火」という私の原点である。
それから40年近い時が流れた。相変わらず、父と釣りに行っている。先週も棚底港の沖に浮かぶ平瀬島の沖で、カワハギを釣ってきた。以前に比べれば、会話も増えた。威厳は消え、寛容になり、私に気さえ使うようになった。
私が風に敏感になり、雲を眺めるのが好きになったのは、父のおかげだと思う。本人の意思は無視して、屋外に連れ出し、放っておき、危ないこともそこそこさせてくれた。いざ、自分が父親になってみると、これがなかなかできない。つい、子どもに気を使ってしまう。ドンとしていられない。やはり、父親は子どもを外に連れ出すべきである。自然に放ち、経験をさせるべきである。
冬はつらい防波堤も、秋は寝心地のいいコンクリートのベッドだ。波の音に包まれ、澄んだ青空と雲を眺めながら空想に耽った時間、無言の中で重ねた父との海での時間は、少しずつ私を大人にした。天井のない空間の居心地のよさを、潜在意識の中に叩き込んでくれたように思う。
今度は、私がお返しをする番かな。竿を持つ皺だらけの父の手を見ていたら、ちょっと目の奥が熱くなった。アウト道(20)
アウトドアの原体験
父と過ごした海での時間
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