カヌーは、不思議な乗り物である。アメンボウのように水面を這うように自由に動き回れるが、一方で風や波、流れなど、自然の影響も極めてダイレクトに受けやすい。自由であり、不自由なのだが、それがまた面白い。
 ボクが乗っているのは、カナディアンカヌーと呼ばれるもので、デッキが張ってなく、ゆるやかな流れの川でゆったりクルージングしたりするのに向いているタイプだ。昔、東京に住んでいた頃に、富士五湖あたりでマス釣りをするのに買ったものである。
 車の全長よりも長いカヌーをキャリアに積んで芦ノ湖に向かい、初めて湖畔から漕ぎ出た日のことを今でもよく憶えている。最初のオールのひとかきで、カヌーが湖面に滑り出た瞬間、とてつもない自由を手にした気がした。凛とした真冬の空気の中を、カヌーは音もなく、滑るように進んでいく。静かだ。聞こえるのは、鳥の声とオールが水面に入る音だけである。低い位置の湖面から見る湖の姿も、ちょっと怖くて感動的だった。有頂天になり、誰もいない入り江を目指し、ルアーを落としたかった場所を次々と攻めていった。
 風が出てきた。鏡のようだった湖面に次第に波が立ち始め、手に持つロッドが「ビュー」と音を立てるようになる。冬の芦ノ湖へ吹き下ろしてくる風は、身を切るように冷たい。
 そそくさと道具を仕舞い、カヌーを出した湖岸に戻ろうとしたが、斜め前から向かい風を受ける形で、思うように進まない。そればかりか戻りたい方向からどんどん遠ざかっていってしまう。無我夢中でオールを漕ぎ、汗びっしょりになりながら、15分できた道のりを1時間かけて帰った。湖岸にたどり着くと、その場にへたり込み、しばらく動けなかったのを憶えている。
 以来、ボクはカヌーにはまった。まず、やったことは天気や気象の勉強。天気図を読めるようにした。それから観天望気。芦ノ湖の湖畔で営業している釣り具やボート屋さん、食堂のおじさんなどに「あの山の頂きに雲がかかると2時間後に雨が降る」などの情報を聞いて回ったのである。天気図から風の向きや強さを予想し、雲の動きや風の温度で天候の変化を察知する。これがある程度できるようになると、グッとカヌーが面白くなった。少し、自然とおつき合いしながら、遊ばせてもらっている感じがしたのである。
 その後、川下り専門のカヌーや、海で乗るシーカヤックなどにも挑戦してみた。共通していたのは、カヌーを浮かべる環境を知ることの重要さ。つまり、自然を知ることである。 カヌーは、視線の位置が水面に限りなく近い。それは、自然との距離が近いということでもあるような気がする。自然とおつき合いするための道具として、カヌーはとてもおすすめなのである。

アウト道(5)

カヌーの視線で自然の中へ

自然を相手に遊ぶということ

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