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「現在、九州一周航海のため 留守にしております」


有明海、不知火海はいずれも内海。外海が2〜3mの波でも、常時0.5mをキープ。
御所浦諸島を抜けて、ひたすら南下









もう少し、マシな格好をするはずだったが、結局機能性を優先したらこのスタイルになった。航海中、ずっとこのまま

 

 1999年7月31日。
  午前10時にホームポートである熊本県天草郡大矢野島にあるイースタンマリーナを出港、走り慣れた不知火海を南下する。
  快晴。風もなく、海面はほぼベタの状態。かなりの荷物を積んで、喫水も随分下がっているのだが、走りも順調だ。東シナ海に出るとスピードダウンすることが予想されたので、巡航よりも少し高い5500回転・22ノットで走り続ける。
 それにしてもいい気分。周囲に見える島々は見慣れた風景ではあるのだが、すでに九州一周の行程が始まっているという程よい緊張感がそれらを新鮮な景観にしている。全ての煩わしさから開放され、10日間は海の上の人である。
  仕事関係の人には事情を説明してきたので、まず面倒な電話が掛かってくる事もないだろう。留守電には「現在、九州一周航海のため、留守にしております」とメッセージを残してきた。もし仕事の電話が携帯に掛かってきても、対応のしようがない。なんたって、海の上なんだから。

「最高、最高」
「でも、こんなに静かな海がずっと続いたら拍子抜けですね」
「まったく。多少はサバイバル感がないとね…」
 相棒の高橋さんはフリーのカメラマン。バスケットボールチームのキャプテンでもある。5歳になる息子が一人。39歳のお父さんだ。僕のアウトドア&釣り仲間でもあって、無人島キャンプや河原の露天風呂作りなど一緒に楽しんでいる。
  ただし、長距離のボートクルージングは初体験。僕とはまた違った不安と期待を胸にボストンホエラーに乗り込んできているわけだ。

 さて、計画では天草下島と長島の間、長島海峡を抜けて不知火海から 東シナ海に出るつもりだった。
  距離的には九州本土と長島の間の黒之瀬戸を抜けた方が近いのだが、水深10m以上の水路の最小幅が200mというこの海峡は、最大4.8ノットの潮流が流れる。潮の流れと風向きがぶつかった時には三角波が立つという事で、スタート当初にトラブルは起こしたくないという気持ちから安全な長島海峡の方を通 るつもりだったのである。
  しかし、あまりにも順調な行程に、
「黒之瀬戸でいってみますか」
「ショートカットですね。OK、OK。全く異議なし」
と、調子よくコースが変更された。
 実際、黒之瀬戸は艶かしく、まったりと渦を巻きながら潮が動いていたが、天草周辺の早潮を日常的に体験している者にとっては何でもなかった。
  それより、11時50分、瀬戸を抜けた途端、進行方向の海の真只中で大きなうねりと真っ白にブレイクする波を見て愕然。
「坂田さん、あれは何ですか」
「ハ、ハ、ハ…。瀬、瀬があるんでしょう。近寄らないようにしましょうね」
「はあ、そんなもんですか」
 高橋さんには事の重大さがあまり分っていない様子。大きく回り込んで、無気味な瀬をやり過ごす。
 不知火海から東シナ海へ。 ここからは、すべて初体験の海だ。


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