テントの下に敷くロールマットは邪魔になるので、舷側に括りつけた
デッキの上は荷物で足の踏み場もない。揺れても暴れないように、パズルのように配置の組替えを繰り返した
カメラマンの高橋さんと出港前の記念写
真、地元新聞社も変な奴がいると、取材に来てくれました
家族の見送りを受けながら、いよいよ出港。いったいどんな航海が待受けているのか…
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その他、細々したものも色々と必要になった。チャートが濡れないようにするための防水クリアケースと携帯電話の防水ケース。港での買い出し用折り畳みカートなどなど。テント、ロールマット、清水タンク(20P)、食器やランタンなどのキャンプ用品。それに忘れてならない釣り道具。
それに2人分の着替えや身の回りの小物類。膨大な荷物の量である。ただでさえ、収納スペースが少ないモントークにこれだけの荷物が載るのか、本気で心配だった。
出発は7月28日を予定。梅雨明け直後で、一番天気が安定する時期だと考えた。
しかし、その年は大平洋高気圧が東から西に張り出す格好で、なかなか九州全域を覆ってくれずにいた。ちょうど、九州の東海岸と四国の間あたりが高気圧の縁になっていて、そこに南から暖かい空気が流れ込み、安定しない天気が続いていた(後に、これが台風の針路ともなっていくのである)。
結局28日も雨風共に強く、出港を断念。1日おいた30日にスライドせざるを得なくなった。
30日、出港当日。梅雨明け後、初めてといっていいような青空が朝から広がっていた。
「やっぱり、出港の朝はこうでなくっちゃ」、と軽口を叩きながら家族と共に天草・大矢野島にあるイースタンマリーナへ。
不安がない訳ではなかった。本当に一周できるのか、自信もなかった。海を知らない人達は「いいですねぇ、九州一周ですか。うらやましいなぁ」などと言っていたが、船に詳しい人の中には「17フィート? 九州一周? 無茶ですよ。止めといたら」と忠告してくれる人も随分いた。
無理をするつもりはなかったし、「危なくなったら、すぐに中止しよう。危険は冒すまい」と自分に言い聞かせていた。
妻には、毎日午後7時までには必ず定時コールを入れるので、万が一連絡がなかった場合には保安庁に連絡するように伝えておいた。
荷物を積み込み始める。燃料タンク4本と清水タンク1本。それにキャンプ道具と釣り道具、着替え。濡れては困るものは車用のキャリーボックスを2つ用意して、その中に入れた。コンソールの前の備え付けのクーラーシートの中に飲み物や食べ物を入れ、持ち込みのクーラーを獲物用とした。海図はロッドケースの中に入れ、シートの背もたれにくくり付けた。
テントの下に敷くロールマットは邪魔になるので、両サイドのパルピットにロープで固定。それでも、デッキの上は足の踏み場もない。少しでも動き回りやすいようにと、できる限りフラットで左右の重量
バランスがとれるようにと配慮しながら積み込みを完了。
午前10時。いよいよマリーナを出港。海面は鏡のようにフラットだ。青空を映し出して、青く深い色に輝いている。スロットルを押し込むと、いつになく重そうにエンジンがうなりを上げた。それでも何だか解き放たれたような気分。少なくともこの10日間は、すべての現実から開放され、九州の海に漂うのだ。ひどく懐かしいような、不思議な気分であった。
目指すは鹿児島県坊津。走り慣れた海域を、島の間を縫って走り出す。エンジンは5500回転まで回って、GPSには22ノットの数値が出ていた。すこぶる順調だった。沖縄の南海上で熱帯低気圧が発生している事以外は。
(つづく)
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