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最後の航海
 


映画の舞台にもなった軍艦島の脇を通る。


昔、炭坑があった島で廃虚となった建物が異様に魅力的


イルカウォッチングの船団と遭遇。しばしの間、あまり見る気もないイルカを観察


魚探の振動子も度重なるショックで破損

いつの間にか、航海灯のポールも吹っ飛んでなくなっていた

ビーチングを繰り返したせいか、帰港後上架したら船底には損傷が (ボストンホエラーはハルの構造上、船尾に付けざるを得ない)

イケスハッチのタッピングネジが吹っ飛んで、走航中もバタバタしていた

あまりの顔の黒さに泣き出す娘

航海は終わった

 

 

 空には溜息のでるような星が出ている。天候は明日もよさそうである。どうやら、無事に帰れそうだ。思えば人の命をも預かる身としては、出港するか否かという判断において、反省すべき点があったのも事実である。かなり無理をしてしまった。満天の星の下でバーベキューを楽しんでいられるのも、たまたま幸運が重なっただけだということを、しっかり胸に刻んでおこうと思った。

 家族や仕事仲間の顔が浮んでは消えていく中で、このままずっとこの生活が続けばいいという思いもあった。危険思想であることはよくわかっていたが、生まれついてものだからどうしようもない。潮でバリバリになった髪の毛や、何日も風呂に入っていない体や、砂にまみれた刺身が妙に開放的で自由な気分にしてくれていた。お父さんとしての、ささやかな現実への抵抗である。

 その夜はいつまでも火をいじりながら、そんなことを考えていた。

 8月13日。この日も朝から気持ちよく晴れ渡っていた。8時過ぎに島を離れ、家族連れのお父さんに聞いた海岸線沿いのガソリンスタンドへ向った。給油を済ませると、無数の島を巡ったり、 ところどころで鮫に向ってキャスティングをしながら南下を続けた。

 ホームポートまでの距離が近づけば近づくほど、やりきれないような思いが強くなっていく。意味もなく回転数を落してみたり、ぐずぐずと寄り道をしたりした。

 午後12時半、長崎南端の野母埼をクリア。東に転針する。30分ほど進むと右手に島影が見えてきた。
「あれ、天草じゃないですか」
「先端に見えるのは富岡ですね」

 見覚えのある景色である。早崎瀬戸から島原湾に入ると、イルカウォッチングの船団に出会った。イルカはどうでもよかったが、ゆらゆらと船を揺らしながら、ひとときをそこで過ごした。
「着いちゃいますね」
「……」

 天草五橋をくぐる。2週間前に通ったルートを逆走しながら、マリーナへ。
 着いた。午後2時45分。
 最後はあっけなかった。
 家族の出迎えを受けた。4歳の娘があまりの風貌に泣き出した。

 航海灯損失、魚探の振動子破損、GPSケーブル断線、イケスハッチおよび船底損傷…。
 所要日数14日。消費ガソリン P。平均速度 ノット。総走航距離約1000キロ。
 それが航海の全てである。
 こうして1999年の夏休みが終わった。(おわり)


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