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宮崎港、堤防泊


右に広がるのが宮崎港。釣りをしている人たちの隣に堂々とテントを張った



テントの中で、翌日の航行計画をたてる。いつになったら、このハードな航海から開放されるのやら

 

 埋め立て地によって作られた人口の港を奥へ奥へ進んでいくと、水門に突き当たる。行き止まりだ。まずは、泊地を確保しなければいけない。急に出港を決めたので、事前交渉もしていない。この日は日曜日で、漁協も休み。一周のスタート前に用意しておいた資料の中に「宮崎マリーナ」の名前があったので、電話してみることにした。

「今日、泊めさせてもらいたいんですけど」
「今、どこですか」 「宮崎港の中です」
「…。じゃあ、難しいですね。この状況だと、とても河口からは入ってこれません」

 どうやら宮崎マリーナは大淀川の河口にあるらしい。しかも、今いる水門のすぐ裏側だということだ。しかし、河口部分は先のように増水した水とうねりとがぶつかって大変なコンディションになっている。一度、外海に出て、河口からマリーナに入るのは到底無理だということだった。水門が開いていれば、まだ何とかなるのだろうが、川の水の流入を防ぐためか鉄の門は難く閉ざされたままだ。

「そうですか」
 携帯電話を切って、周囲を見渡す。水門のすぐ脇の岸壁には、コンクリートを打ったスペースがある。釣りをしている人達も多いが、そこならテントが張れると判断した。
「とりあえず、上陸してみましょう」

 岸壁に着岸すると、テントサイトを確認。他の人に迷惑をかけることもなく、1日くらいのキャンプは許してもらえそうである。都合のいいことに、すぐ横にはトイレもある。まずは、トイレに駆け込み、水道の水を頭から被って、体を洗った。
 次に気になったのが給油である。あたりを歩いてみたが、近くにガソリンスタンドはなさそうだ。根気よくハローページかなんかで探せば見つかるのだろうが、そんな気力もない。裏技を使うことにした。

「もしもし」
「ご無沙汰してます。どこからですか」
「宮崎港」
「……」
 実は宮崎市内に親戚がいるのだ。一周の事は何も話してなかったが、訳を説明するとすぐに車で来てくれた。

「こ、このボートで、熊本から?」
 ボートで九州一周中だと言ったら、彼は50フィートくらいのクルーザーをイメージしていたようだ。「うらやましいなァ〜」なんて言ってたのも、そういう理由からだろう。しかし、我々が乗ってきたのは17フィートだったし、見るも無惨な姿格好である。コメントが「大変ですねぇ〜」に変わった。

 車で最寄りのスタンドまで送ってもらい、携行タンクに2本半分の給油を行った。50マイルを約5時間、平均10ノットで走って70Pの消費である。ただし、50マイルというのは直線の距離であって、大きなうねりを上ったり下りたりしてきたことを考えると、実走距離は随分と増えるに違いない。それにしても、エンジンがノントラブルで本当に助かる。相当、無理な使い方をしているのにも関わらず、今のところ全く支障はない。

 ご飯を焚き、インスタントの焼そばと差し入れのビールをおかずに夕食を済ませた。堤防では家族連れがアジゴ釣りをしていたが、仕掛けを作る気にもなれない。それより、翌日の天気の方が気になっていて、2人してラジオに聞き入っていた。

 
予報では「波の高さは3m後4m、天気は雨」である。最悪だ。しかし、幸いにも午前中の風はあまりなさそうなので、夜明けと同時に出港することを決める。目指すは大分県・佐賀関。距離にして96マイルは、今回の行程中、最も長い距離である。南から悪化してくるだろう天気と競走しながら北上、豊後水道を抜けて瀬戸内に入りさえすれば、今回の計画もメドが立つ。とにかく、少しでも早く大平洋とおさらばしたい。

 コンクリートの上にテントを張って、すぐに眠りにつく。風さえなければコンクリートの上のテント生活は意外に快適なことを発見していた。しかも、内之浦から宮崎までの行程で、サイドのパルピットにくくり付けておいたロールシートを流出していたので、フラットな地面 はなんともありがたい。まだまだ前途多難は予想されたが、今回の航海で「いくら考えても始まらない」生来の刹那主義にますます磨きが掛かって、心配する前に程よく温かいコンクリートの熱を背中に感じながら体全体を心地よい眠りに支配された。
(つづく)


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