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中年男はなぜ、 旅に出たいのか


坊津の漁師のおじさん。飄々とした雰囲気が、歴史ある天然の良港・坊津の佇まいの中に溶け込んで、何とも気持ちを和ませてくれる。

 




 




暗闇の中で、手探りの夕食作り。











海は広く、青く、そして厳しい。そんなことくらい十分に知っているつもりだったが…。









使われていない事務所の中にテントを張って台風をやりすごす。快適ではあったが、やはり精神的にはかなり追い詰められた




 





泣き出したくなるような海は、九州の自然の素晴らしさも教えてくれた


 
















 

 灼熱の夏が過ぎ、3年前の記憶が断片的に蘇る。
             *
 1999年7月31日。
 夕方の鹿児島県坊津港。
「どっからきたのぉ」
 振り返ると70歳過ぎの、いかにも漁師風のおじいさん。語尾が上がるのが鹿児島弁の特徴で、何やらかわいい。
「熊本です」
「熊本ぉ? この船でぇ」
「そうです」
「今日は波があったじゃろ。(ヒコーキを見て)釣れたか?」
「いいえ、全然。一応、カツオを狙ったんですけど」
「ハハハ、もうカツオはおらん。終わった」
「終わった?」
「6月くらいまでなら、この港のすぐ目の前でよう釣れとったけどナ。今はだいぶ沖に出らんと釣れん。牛深あたりまでいけば釣れると思うけどナ」
「……」
 牛深は天草の最南端、我々の地元。この日、スタート直後に通ってきた場所である。
「まあ、わしは今日、この前で1キロちょっとくらいのを2本釣ったけどナ」
「いるんじゃないですか」
「ようけはおらんちゅうこっちゃ」
             *
 ビーチングしてキャンプ道具を下ろし、テントを設営すると時間は7時を回り、周囲もすっかり暗くなってしまった。
  ランタンに灯りを入れ、海水で米を洗い、レトルトのカレーを温めた。砂浜に座り込んで、少し塩辛いカレーにありつけたのは8時過ぎになっていた。風は強いが、頭の上には満天の星空。そして、砂を洗う波の音。

             *
 1999年8月1日。
「坂田さん、この波で何メーターくらいですか」
 メガネから海水を滴り落としながら、怒鳴るように高橋さんが聞いてくる。
「3〜4メーターというところでしょうか」
 耳を切る風の音に負けないように、こちらも大声で返す。
「大丈夫ですか」
 これには答えずに、何度か大きく頷いた。
 リモコンは忙しく動かしっぱなし。向い波を上る時には出力を上げようとするが、波の力に押されてズルズルと後ずさりするような感じである。
  また、時折ペラが空気や泡を吸って、ベンチレーションを起こすので、あわててリモコンを戻す。
  高橋さんはそれ以来、口も聞かず、足を大きく踏ん張り、両手でボートをつかまえている。片手だけでは体が吹っ飛ばされそうな状態だ。当然、写 真など撮る余裕もない。
             *
「着きましたね」
「……」
 緊張の糸が切れて、言葉も出ない。港の奥の水揚場にボートを付けて、とりあえず上陸。陸に上がると、2人共へたり込み、コンクリートの上に寝転んだまましばらく動けなかった。
             *
 1999年8月5日。
 雨風が完全にしのげる格安のねぐらが確保できて、我々は有頂天だった。課長と一緒に倉庫に入って点検してみる。
  正確には倉庫というより、雑多なものが置かれている事務所である。16畳ほどの広さがあるが、もう随分使っていないらしく床には5ミリほど埃が積もっている。
「出るかな?」
 課長がキッチンの蛇口をひねると、一瞬躊躇した後に勢いよく水が弾き出てきた。
「つくかな?」
 今度はエアコンのスイッチを入れると、ブーンと室外機の音がし始めた。
「使っていいんですか?」
「どうぞ」
 なんと、照明、キッチン、エアコン付きの屋内キャンプサイトである。埃ダニがいそうだが、そんなことはかまっていられない。
             *
 1999年8月9日。
 そんな状態が30分ほど続いただろうか。午後12時30分、トンネルを抜けたら景色が変わるように、鶴御崎をかわすと突然海が静かになった。
 終わったのである。大平洋との格闘が、ついに。
 風は相変わらず強かったが、うねりはとこかへ消えていた。それまでは10ノットそこそこの走航が続いていたが、20ノットを出してもあまり体に堪えない程度の海に一変。
  気付けば頭の上には灼熱の太陽。 目の前には、穏やかな佐伯湾が広がっていた。
             *
 2002年9月14日。
 あの航海から3年が経った今でも、時折断片的に思い出すことがある。日ごとに朦朧となる記憶力だが、不思議とこの時の光景はクリアなままだ。
 そんな航海の一部始終をこれからご紹介していくわけだが、その発端は他愛もない思い
つきから始まったことだった。
             *
 1999年6月某日。
  午後10時、帰宅。
  4歳になる娘の寝顔を覗いてから、冷蔵庫のビールを取り出す。

「先にお風呂に入って下さい。でないとまた寝ちゃうでしょう」

 アイロンをかけている妻の声が頭の上を通り過ぎる。
 最近は酒の量も決まってきた。毎日350ccの缶ビール1本と焼酎のロックを2〜3杯。それで頭が朦朧とし、眠くなる。パターンだ。毎日のパターンだ。

 40歳を目前にしている。いつの間にこんなところまで来たのだろう。このパターンを繰り返しながら、50歳になり、60歳になるのだろうか。確かに、それもいい。特に不満はない。 しかし。

 ワクワクしたい。ドキドキしたい。ちょっとだけ、無茶をしたい。適度な緊張感の中で自分を確かめたい。何ができるのか、どこまでできるのか。

 そうだ、海に出よう。海に出て、遠くまでいってみよう。僕が持っているボートは全長5mほど。そのボートでどこまで行けるか、試してみよう。

  そうだ、九州一周がいい。あんな小さなボートで九州一周するヤツなんていないだろう。車でもなく、バイクでもなく、自転車でもなく、一輪車で九州を一周するようなものだ。だからやってみよう。

  金はないから、昼間走って、夜は港でキャンプ。休みも無理をすれば10日間くらいはなんとかなるはずだ。今年は1999年。21世紀になる前に。40歳になる前に。ちょっとだけ、無茶な旅をしよう。

  アルコールで少し膨張した脳細胞がそんなことを考えている。
「何、一人でニヤニヤしてるんですか。気持ち悪い」
 また、頭の上を声が通り過ぎる。
「私に相談する時は、もう決めてるんでしょう」

 妻に決意を伝えると、いつもと同じ返事が帰ってきた。


(つづく)


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